ヨガは長い歳月をかけて、様々な種類に分かれていきました。
私が信じ、練習を続け、伝えていきたいのは、
様々な種類に分かれていく前の「伝統的なヨガ」です。
それにはいくつかの特徴があります。
・日々の暮らしの中で、自分(ひとり)で練習する。
・アーサナ、呼吸法、瞑想を含めた総合的な実践により、
自分の身体と心の繋がりを実感し、包括的に理解を深める。
・一人一人にヨガを合わせる
(その為に一対一のレッスンを必要とする)
このヨガはとてもプライベートなものです。
大勢で行うグループレッスンのような華やかでパワフルなものではなく
とても静かで、地道なヨガです。
このヨガを必要とする方に伝えたい。
そう思い、Kulamsというこの小さなヨガスタジオを始めて約1年半、、
沢山の事を考えては、行動に移す前に踏みとどまる、、という事を繰り返しています。
分かりやすいように名前を付けようかな?とも思いました。
(アシュタンガヨガみたいなね)
でも、それではまた種類を分けてしまう事になりかねない。。
多くの人に知ってもらおうと思えば思う程
伝えようと思えば思う程、急げば急ぐ程
この伝統的なヨガの本質や神聖さが薄まってしまう、、、
正直、自分に一体何ができるのか、、迷いながら進んできた1年半です。
ただ、私はこの伝統的なヨガに出会って、静かに、地道に練習を続けて、
迷い立ち止まっては先生や仲間に励まされながら、
また練習を続ける、、そんな暮らしの中で、
今まで抱えてきたいくつもの苦悩を、根本から取り除くことができて、
今、本当に心から幸せに自分の人生を生き始められているんです。
その中で、気づいたことがあります。
私がこの伝統的なヨガを伝承するものとしてやるべきことを
「私は既にやっている」ということ。
だから、ヨガの先生として何ができるのか、、と悩むことを辞めました。
だって私は日々練習を続けながら、ヨガを実践し、恩恵を受け取り、
現代を生きる「私」という人間を通して
この伝統的なヨガを今この時代に、伝承することが既にできているから。
分かりやすい名前もいらない。
何も付属しない「ヨガ」であることが
様々な種類に分かれていく前の「伝統的なヨガ」である証拠として
このまま、名前が無いけど有る「ヨガ」として
時間をかけて伝え続けていこうと決めました。
それと伴に、「私」という人間を通してしか受け取れていないヨガを
(練習を自分に合わせる様子、気づき、心の傷が癒えた過程etc…)
この場に、ブログとして綴っていこうと決めました。
それは、過去の私ができなかったことです。
向き合うのが苦しくて、誰かに知られるのが恐かったこと。
でも、もう大丈夫だから。それらは既に過去だから。
私はヨガを通してそれらの真実を理解して、本当に心から乗り越えられたから、
今の私なら苦しまないで、恐がらないで書けそうです。
ここに綴る私のヨガが
この伝統的なヨガを必要とする方に届くきっかけになれたら、、
ヨガを伝える者としてこれほど嬉しいことはないな。。
そんなことを思いながら
ゆっくり、喜んで書いてみます。