
私が学び、お伝えしているフリダヤヨガとは、
現実的なハタヨガによって
神聖なヨガの恩恵を現代社会の中で受け取る方法のことです。
フリダヤヨガは、
呼吸(ハタヨガ)によって魂(生命の完全なるバランス)を理解するヨガを意味します。
ここに記しているのは、「私の現実的なハタヨガ」の記録です。
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私は今、「結果への執着を手放す」ということの難しさに直面しています。。
今までは、苦しみを取り除く為、藁にも縋る思いで必死に練習してきました。
その苦しみが動機となり、目的となることで練習できていたんです。
練習の甲斐あって、私の中にあった苦しみを一つずつ取り除くことができてきた今、
ヨガをする目的を見失ったかのような錯覚に陥っています。。
ヨーガスートラにはこう記されています。
1.12 マインドは、練習(アビアーサ)と、不執着(ヴァイラーギャ)を通じて
ヨーガの状態に至ることができる
1.13 練習は基本的に、ヨーガの状態に向かい、至り、
それを維持するのに必要な正確な努力のことである
これを読んで、私には結果への執着があり、その執着を手放す必要があるということに気づきました。
ヨーガスートラはこう続きます。1.14 長い間、中断することなく、積極的かつ熱心に、
正確な練習を行う時のみ、練習は成就する。
1.15 感覚的な達成感や、超常的な経験へのいかなる渇望もない最高の状態において、
私たちは不執着・公平さ(ヴァイラーギャ)の状態に至る。
私がどのような状況であろうと、先生はいつも私が練習できるように必要なことを教えてくれます。
それは私が本当に辿り着きたいところ、つまり不執着・公平さ(ヴァイラーギャ)の状態に至る為には
練習することが必要であり、
練習することが、今できる最善の努力であるから…
ヨーガスートラ1.16 ある人が真実の自己を完全に理解したら、
もはや内や周囲の雑多な影響から惑わされることはない。
今の私は、・ヨガをする目的を探している(結果がほしい)
・朝起きて、日常を過ごせば過ごすほど練習を後回しにしてしまう…
という状況でした。そんな自分が把握できてきた今、私(のマインド)がいろんな理由をつけて
ずっと避けてきたことを、あえてやってみることにしました。
それは、‟起床直後に練習する” ということ。
子供の頃から早起きが苦手で、今まで朝起きてすぐヨガの練習なんて考えられなかった。
でもそれは、私の誤った理解(アヴィディヤー)かもしれません…
先生はこうも教えてくれました。「マインドは考えることが存在意義であって、答えを出す存在ではない。
マインドは時として主人のようなフリをするが、主人ではない。
主人は《命》である。ヨガは呼吸(=命)に貢献する。
命そのものに集中する練習である。」
考えても答えは出ない、大切なのは「行動する」ということ。
そして、その「行動」が「呼吸へ奉仕する行動(=ハタヨガ)」であること。
だからとにかくやってみます。
どれだけ続くか、何か変化が訪れるのか、何も変わらないのか、、
答えは、実践してのみ、私の呼吸が教えてくれるはずです。
またここに記録させてください。

最後まで読んでくださりありがとうございます。