Personal Yoga Kulams(くらす)

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ブログ

練習の記録

1月、練習の記録。

私が学び、お伝えしているフリダヤヨガとは、

現実的なハタヨガによって
神聖なヨガの恩恵を現代社会の中で受け取る方法のことです。

フリダヤヨガは、

呼吸(ハタヨガ)によって魂(生命の完全なるバランス)を理解するヨガを意味します。

ここに記しているのは、「私の現実的なハタヨガ」の記録です。

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私は今、「結果への執着を手放す」ということの難しさに直面しています。。



今までは、苦しみを取り除く為、藁にも縋る思いで必死に練習してきました。

その苦しみが動機となり、目的となることで練習できていたんです。

練習の甲斐あって、私の中にあった苦しみを一つずつ取り除くことができてきた今、

ヨガをする目的を見失ったかのような錯覚に陥っています。。

ヨーガスートラにはこう記されています。

1.12 マインドは、練習(アビアーサ)と、不執着(ヴァイラーギャ)を通じて

   ヨーガの状態に至ることができる

1.13 練習は基本的に、ヨーガの状態に向かい、至り、

  それを維持するのに必要な正確な努力のことである

これを読んで、私には結果への執着があり、

その執着を手放す必要があるということに気づきました。
ヨーガスートラはこう続きます。

1.14 長い間、中断することなく、積極的かつ熱心に、

  正確な練習を行う時のみ、練習は成就する。

1.15 感覚的な達成感や、超常的な経験へのいかなる渇望もない最高の状態において

  私たちは不執着・公平さ(ヴァイラーギャ)の状態に至る


私がどのような状況であろうと、

先生はいつも私が練習できるように必要なことを教えてくれます。

それは私が本当に辿り着きたいところ、

つまり不執着・公平さ(ヴァイラーギャ)の状態に至る為には

練習することが必要であり、

練習することが、今できる最善の努力であるから…

ヨーガスートラ

1.16 ある人が真実の自己を完全に理解したら、

  もはや内や周囲の雑多な影響から惑わされることはない。


今の私は、

・ヨガをする目的を探している(結果がほしい)

・朝起きて、日常を過ごせば過ごすほど練習を後回しにしてしまう…
という状況でした。

そんな自分が把握できてきた今、私(のマインド)がいろんな理由をつけて

ずっと避けてきたことを、あえてやってみることにしました。

それは、‟起床直後に練習する” ということ。

子供の頃から早起きが苦手で、

今まで朝起きてすぐヨガの練習なんて考えられなかった。

でもそれは、私の誤った理解(アヴィディヤー)かもしれません…

先生はこうも教えてくれました。

「マインドは考えることが存在意義であって、答えを出す存在ではない。

 マインドは時として主人のようなフリをするが、主人ではない。

 主人は《命》である。ヨガは呼吸(=命)に貢献する。

 命そのものに集中する練習である。」


考えても答えは出ない、大切なのは「行動する」ということ。
そして、その「行動」が「呼吸へ奉仕する行動(=ハタヨガ)」であること。

だからとにかくやってみます。

どれだけ続くか、何か変化が訪れるのか、何も変わらないのか、、
答えは、実践してのみ、私の呼吸が教えてくれるはずです。

またここに記録させてください。

最後まで読んでくださりありがとうございます。